2018年12月31日

ホイアン市内のリゾートホテル


ホイアンの日中徒歩見学が終わって、一旦ホテルへ

ホイアンのホテルは、旧市街入り口から徒歩 10 分くらいのところにある
リゾートホテル

町の中のリゾートホテルってなかなか面白いですね

こちらです。

HOTEL ROYAL Hoi An, MGallery by Sofitel

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トゥボン河畔に建つ大型 DX ホテルです。

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ロビーは普通でしたけど...

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というわけで、チェックインをしてお部屋へ。

これがお部屋

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そんなに広いわけではないけど、なかなか面白い作りですね。

で、バスルームが丸見え

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一応カーテンがあって隠れるんですが、なかなか大胆なつくりですね

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こちらは洗面台。

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フランスのチェーンホテルらしく、何となくデザイン的。

というわけで、お部屋に一旦入って落ち着いた後、このホテル自慢のプールを見に行きました。

まずはロビー奥の地上階にあるホテル。

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建物に囲まれて、シティーホテルのプールって感じがしますね。

そしてこちらが屋上のプール

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景色も素晴らしくて、気持ちよさそう...

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こういうところでゆっくりしたいですね。

ちなみにここにはプールサイドバーもあって、飲み物もいただけます

夜は夜景がきれいかな?

屋上から町を撮ってみたら...

フィレンツェの最近よく泊ってる、Gallery Hotel Art のてっぺんのからの景色に何となく似ている気がしました

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どうかな?


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2018年12月30日

ホイアン旧市街の入場観光


ホイアンの旧市街に入るのに、観光チケットを購入しなければ入れないんですが、それを購入したら、旧市街内の博物館やお寺などの入場チケットが5枚付いてきます

現在の定価は12 万ドンだったかな。

チケットは最低一人一枚購入が必要となっており、
最初に旧市街に入るときに購入しましょう

そんなわけで、ホイアン旧市街の観光

せっかくなので、まずは福建會館へ行ってみました。

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屋根の龍の彫刻が躍動感を与えてくれますね

ここは、1757 年、ホイアンが世界の貿易港であった頃、
現地で暮らしていた華僑が建てたものであり、日頃から華僑たちの集会場としても使われてきました。

この門を入ると、中庭の奥には屋根のある集会場があります。

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この中には、道教の神様、天后聖母がありました。

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天后聖母は福建省や潮州などで信仰されており、台湾、日本でも見かけることができます。

天后聖母は媽祖とも呼ばれ、人々から神の中でも最上位に位置するものとして崇められています。

現在では盗賊や疫病といった災厄避けとしてベトナム人は手を合わせています。

しかし、中華人民共和国の時代になり、次第に弾圧されるようになってきました

現在では規制の中でも黙認され、80年 代末期に入ると信仰信者も再び増えてきているそうです。

中は天井から渦巻き型のお線香が規則正しく下がっており、なかなか珍しくて面白いですよ

普通のお線香だと、1時間くらいで燃え切ってしまうのですが、渦巻き型だと、大きなものでは1カ月くらい灯がともってるんだとか。


さてここを後にして旧市街を散策しながら次に向かった先は、海のシルクロード館

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中には地図があって、日本の御朱印船のルートも記載されてありましたよ

ここには、ホイアン近郊で発掘された出土品や海底で発見された沈没船の遺品や陶磁器、絵巻物などが展示されています。

日本のものもいくつかありました。

それだけ日本との貿易が盛んだったんでしょうね。

そしてまたまた歩いて行って、日本橋へ。

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当時ホイアンにいた日本人と中国人が架けた橋で、これを作った後に日本は鎖国となり、一世に日本人が帰国したため、詳しい文献などは残っていないんだそうです。

橋の真ん中あたりには、カウ寺というお寺があり、その入り口には中国語名の来遠橋という名前の看板もつけられています。

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その看板の下の丸っこい彫刻は、魔除けなんだとか。

この橋も年々老朽化が進み、度重なる修復工事で橋全体が歪んできていることから、
将来的に一度全てが解体され全面改修される工事が予定されています。

今の姿の橋が見られるのもあと少しなので、行かれる方はお早めにね。

橋の長さは 18m

この間にも歴史を感じますよ

というわけで、この後はホテルへ移動しました。


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2018年12月29日

ホイアン旧市街のお散歩へ


お腹いっぱいになったところで、ホイアン旧市街のお散歩へ 👟 👟 👟

フエが首都だった阮朝時代より貿易港として栄え、ポルトガル・オランダ・中国、そして日本人が来航して、17 世紀に最盛期を迎えます

しかし、19 世紀に入ると、ホイアンと海を結ぶトゥボン川に土砂が堆積して、水深が浅くなり船が入ってこれなくなって、港の繁栄はダナンへと移っていきました。

忘れ去られたホイアンは、その後のベトナム戦争でも戦火を免れ、昔ながらの面影が残った町となり、1999 年にユネスコから、ベトナム国内で二番目の文化遺産として登録されました。

日本人にとっては、
ノスタルジックでどことなく懐かしい雰囲気が残る旧市街

まずは旧市街の入り口あたりにある、日本橋と呼ばれている来遠橋へ。

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ベトナムの20,000ドンの紙幣にも描かれているこの橋は、1593 年に当時この地に暮らしていた日本人によって架けられたといわれています

橋の左側に日本人街があって、右側に中国人街があったといわれており、その二つを結ぶために架けられたとか

16 世紀当時は、日本は朱印船貿易でこのホイアンにもちょいちょいやってきて、鎖国が行われるまではかなりの日本人もこの地と日本を行き来していたそうです。

さてここからメインストリートの一つである、チャンフー通りを歩いてみましょう 👟 👟 👟

旧市街にはたくさんのカフェやお土産物屋さんが軒を連ねています

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特に目立つのがランタン屋さん

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通りにもランタンが飾られています

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夜になるとこういったランタンに灯がともるんですが、とても幻想的になりそうですね

楽しみ...

もう一つのメインストリート、グエンタイホック通りも。

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どちらかというとこっちの方が賑やかかな?

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そして川沿いへ

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そして旧市街のはずれに、お船の模型がありました。

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長崎市から寄贈された御朱印船の模型です

長さ 10m、幅 3m と立派なものです。

御朱印船は今から 400 年前ごろ、長崎の商人らが東南アジア諸国との交易に利用していた貿易船で、ベトナムではホイアンの港が拠点となっていました。

当時の安南王国のゴック・ホア王女が、商人として訪れていた日本の商人、荒木宗太郎と結婚し、いっしょに長崎へと渡ったのもこの船だとされています。


朱印船を使った貿易とは、戦国時代末から江戸時代初期 ( 16 世紀末 〜 17 世紀初め )、日本人が東南アジア諸国に出向いて行った貿易のことです。

その際、政府からから貿易を許可する貿易許可証という朱印状をもらわなければなりませんでした。

貿易許可証といってもどちらかというと、どこそこの国に貿易をしに行くという、
政府公認の証明書で、密貿易船や海賊船と間違われないようにしたということです。

その朱印状にちなんで、この貿易を朱印船貿易と呼んでいます。

江戸時代、徳川家康の政策として紹介されがちですが、実は、
1952 年に豊臣秀吉が朱印船貿易を始めたんだそうな

でも、秀吉時代の朱印状が見つかってないため、実際のところはどうんな風にしてやっていたのかは不明ですが、積極的に外交政策をし、様々な東南アジア諸国に書状を持たせた船を派遣させていたのは確かなのですけどね。

それを拡大し、システム化したのが家康だといわれています。

江戸幕府にとって朱印船貿易はとても魅力的なものだったそうです。

というのも、朱印状を発行する手数料が結構いい儲けになったみたいですよ

家康は、大名や商人たちに東南アジア諸国での貿易を許すかわりに、その貿易で得た利益の一部を幕府に納めさせました。

大名や商人が東南アジアで貿易をすればするほど、その利益が幕府に入ってくる、
とっても“おいしい”システムだったそうです。

1604 年から朱印船貿易を廃止する 1635 年までの約 30 年間に幕府は 350 通以上の朱印状を発行したという記録も残っています。

そういった船は中国産の生糸なんかを輸入し、日本からは銀や銅を輸出したみたいですね。

そんなこんなでたくさんの人が日本から出かけて行ったので、東南アジア諸国には日本人町もたくさんでき、交流が盛んになっていきました。

それが幕府の政策で、あまりにも日本国内にキリスト教徒が増え、また外国人に日本が占領されるかもしれないという恐怖心から、

1612 年キリスト教の信仰禁止令禁教令を出し、従わない人や宣教師を国外に追放しました。

そして、1633 年には在外5年以上の日本人の帰国を禁止、そして、1635 年には日本人の海外渡航を禁止しました。

これにより朱印船貿易は終わりを迎えることになりました。

そんな歴史もあり、ホイアンと日本のつながりもとても深いんだなぁ...なんて思いながら、気温 30℃ 越えの中、このお船の模型をしげしげとみていました。



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