2019年02月28日

KL宿泊は繁華街のど真ん中


お昼ご飯を食べた後は、車を飛ばしてクアラルンプール💨💨

宿泊場所は、クアラルンプール一番の繁華街の一つ、ブキビンタンの一角にある、PARKROYAL Kuala Lumpur

ブキビンタンっていうと、ちょうど東京でいうところの六本木交差点って感じかな?

大阪でいうとグリコの看板があったところ辺り...

その辺のホテルです。

便利でしょ?

建物はちょい古いけど、一応のホテル。

こんなど真ん中にあるのに、わりとお部屋は広いです。

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ベッドも快適です。

今回はデラックスルームってこともあったけど、快適でしたよ。

バスルームはシンクがふたつ

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シャワーブースは独立

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コーヒーセットとお水も

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というわけで、チェックインの後はちょろっとホテル周辺をお散歩しました👟 👟 👟

モノレールのブキビンタン駅もすぐだし、ブキビンタン交差点もすぐです

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こちらはブキビンタン交差点のランドマークでもある、LOT 10

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その奥にはショッピングセンターがひしめいていて、
お買い物、お食事には困らないところです。

ちなみに、一風堂もあったので、ちょっと行ってみたかったんですが、この日の夕食は違うところでいただきました。


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2019年02月26日

マラッカでニョニャ料理のお昼


午前中、マラッカの徒歩の観光ということと、朝ごはんが機内食でかなり早い時間だったということもあって、お昼ごろにはおなかもペコペコ

この日のお昼は、さっきのサンチャゴ砦から5分くらいのところにある、
ニョニャ料理のレストランでランチ

この町に来たらニョニャ料理は外せないでしょ...

お店は、Seri Nyonya Restaurant

ホテルエカトリアルの3階にある、ニョニャ料理専門店です

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店内は広いテーブル席と、

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掘りごたつ式の座敷席。

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雰囲気もいいですね。

ニョニャ料理ってのは、中華料理とマレー料理が融合した独特の料理です。

もうちょっと突っ込んで書くと、中国系のお父さんの祖国だった中華料理の食材、調理器具、食器を使い、地元系であるお母さんのマレー人家庭に伝わる香辛料や味付けでアレンジした料理のことを言います

ややこしいですね...

見た目は中華料理っぽいんですが、味付けはマレー系...

ま、どっちもアジア料理なので似てるっちゃ似てるんですけど

どんなものかというと、この日いただいたもので...

ニョニャ風春巻き

NYONYA POPIAN

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中国の春巻きは揚げてある物が多いんですが、こちらは蒸してあります

我々が知ってる春巻き...とは別物みたいでしたが、おいしく頂けました

そして、

ニョニャ風チキンの煮っころがし

AYAM PONGTEH

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ニョニャ風魚の煮つけ

IKAN CHUAN CHUAN

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海老カレー

UDANG LEMAK NENAS

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ニョニャ風野菜炒め

NYONYA CHAP CHAI

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ナシゴレン

NASI GORENG

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これをそのままいただくんではなくって、
ナシゴレンと一緒に混ぜ混ぜしていただきます

こんな風にして盛ってね

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いろいろな味がミックスして、面白いですよ。

そんなにスパイシーではなくて食べやすいです

特にナシゴレンがそれほど味付けが濃くないため、他の料理と一緒に食べると味が混ざってよりおいしくなります。

最後のデザートは、ニョニャ風かき氷

NYONYA CENDOL

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ところで...

ニョニャ・ババのことをプラナカンって紹介されているものもよく見かけます。

ニョニャ料理のことをプラナカン料理って言ったりして。

でも、正確に言うとニョニャとプラナカンはちょっと違うんですよ

ニョニャは広い意味で、プラナカンの一部ってことなんですが。

どういうことかというと...

ニョニャってのは、先ほども書きましたが、中国から移民してきた男性が 19 世紀後半までに現地のマレーシア人女性と結婚し、産まれてきた混血の男の子をババ、女の子をニョニャと呼んでいたのがルーツです...よね

地元では「 ババ・ニョニャ民族 」と呼ぶようになったってことです。

こういった人たちも、今はもう3世代になってきて、中国語での会話はできるけど、漢字も読めなくなり、マレー語や英語を日常的に使うようになってきています。

お箸も使えなくなってきて、もっぱらスプーンとフォークで食事をするようになってきました。


で、プラナカンってのは...

マレー語で 「 ここで生まれた 」って意味があり、
英語では、❝ Born Here ❞ って言われています。

19 世紀末頃までにいろんな国からマレーシアに移住してきた男性が、現地のマレー人女性と結婚し、生まれてきた混血の子孫を総称してプラナカンと呼びます。

その中でも割と多いのがイギリス領だったころ、イギリス人経営の紅茶園やゴム園で働くために連れてこられたインド人労働者で、現地の人と結婚してできた子供のプラナカンで、その中でもイスラム教の信者を「 ママッ 」、ヒンドゥー教の信者を「 チッティー 」って読んだりしています。

また、ポルトガル領だった時のポルトガル人男性と現地女性の間にできた子供のプラナカンは、「 ユーラシアン 」と呼ばれ、キリスト教の信者さんが多いです。

しかし、20 世紀後半から、現地マレーシア人女性と結婚するには、
男性はイスラム教に改宗しなければいけないとか、だんだんと厳しくなってきています。

混血の人たちは、生活風習は地元のお母さんのを、宗教や教えはお父さんのを受け継いできたのが多かったんですが、だんだんとそんな風習もなくなりつつあるんですね。


料理のお話を書いていて、マレーシアの文化の方に話が飛んでしまいました。

やはり
地元の料理を知るにはその国の文化も知っていた方が楽しいですからね。


お店
名前 : SERI NYONYA PERANAKAN RESTAURANT
住所 : Hotel Equatorial Melaka
Bandar Hilir, 75000, Melaka, Malaysia
TEL  : 06 282 8333
営業時間 : 12:00 〜 14:30 / 18:00 〜 22:00
基本年中無休
URL  :
https://melaka.equatorial.com/dining/seri-nyonya-peranakan-restaurant/


マラッカの観光地にある4つ星ホテルの3階にある、ニョニャ料理専門店。
雰囲気もよく、味付けも優しく、落ち着いてお食事が楽しめます。観光途中に立ち寄れる立地もいいですよ。ホテルの中なので、衛生的にも安心してお食事できます。



SERI NYONYA PERANAKAN RESTAURANT東南アジア料理(その他) / クアラ・ルンプール国際空港周辺)

昼総合点★★★☆☆ 3.3




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2019年02月24日

ザビエルが上陸した町マラッカ


スタダイスの裏手は小高い丘になっていて、そこを上っていきました。

途中マラッカって名前の由来にもなった木がありました

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マラッカってのは英語読みで、マレー語ではムラカって発音します

昔はいろいろなところで、マラッカ ( MALACCA ) って表記もあったんですが、
現在はほぼすべて現地の言葉のムラカ ( MELACA ) に統一されています。

そのムラカの語源にもなったのがこの木

マラッカ王国が設立されたのは、14 世紀終盤と書きましたが、当時、スマトラ島の南部に位置するパレンバンで生活していた若き皇太子 「 パラメスワラ 」 は、インドネシアほぼ全域を支配していたマジャパヒト王国に攻め込まれて、数人の家臣を引き連れトマセック ( 現在のシンガポール ) 経由でマレー半島の西海岸にある小さな港町にたどりつきました。

水と陽に恵まれた港町を皇太子は 「 ココは天然の良港だ 」 とつぶやいて、大きな樹木の近くに陣を張ってしばらく滞在することにきました。

ある日のことです。

皇太子と家臣たちは、猟犬を使って狩猟を楽しんでいました。

そのときジャングルの木陰から小さな子鹿現れたところ、すかさず皇太子は猟犬たちに 「 あの子鹿を追いつめろ!」 と合図をしました。

訓練された猟犬たちはチームワークを崩さず、川の方へと子鹿を追い込みジリジリと距離を詰めていきました。

子鹿ちゃんは絶体絶命。

窮鼠猫を噛むじゃないけど、突然、小鹿は猟犬のボスにとびかかり、眉間に強力なキックを見舞いました。

「 キャン 」 という悲鳴と共にボスは小川へ落とし込まれました。

狩猟犬たちは、ボスを頂点にして絶対服従のタテ社会を築いています。

ボス犬が攻撃され、一撃で川に落とされたのを見た残りの猟犬たちは戦意喪失

子鹿は、そのスキをついてジャングルに消えていきました。

この様子を見ていた皇太子は驚いて...

非力な小さな体で、訓練された猟犬を蹴散らし森に消えていった子鹿を
「 やぁ、敵ながら、あっぱれ!」 と褒め称えたのです。

そんなこんなで、皇太子はこの天然の良港に加え、超クールな子鹿に惚れ込み 「 素晴らしい場所だ! 余はココに我が国を興す!」 と家臣たちに宣言しました。

一部始終見ていた家臣たちも、この奇跡的な子鹿の戦いを高く評価し皇太子に同意しました。

さっそく皇太子は、この港町に暮らす先住民族たちを呼び集め
「 ここはなんて町だ?」 と聞きました。

原住民 「 ??? 」

スマトラ島とマレー半島は海峡をはさんで隣どうしの関係ということもあり、言葉は方言ほどの違いなので、コミュニケーションに問題はなかったけれど、
現地の人たちは町に名前を付ける習慣が無かったのです。

町には当然名前があるはずだと思いこんでいた皇太子は、何度も 「 この町の名は?」 と聞きました。

あまりにもくどく繰り返される質問に、しびれを切らした原住民は

『 皇太子さまは、目の前にあるこの木の名を聞いておられるんじゃなかろうか?』

勘違いをしてしまい、

「 皇太子さま、この木はムラカと申します 」 と答えてしまいました。

皇太子は
「 そっか。ムラカっていうんだな。これは素晴らしい名前じゃ 」 と勘違いをさらに加速させ 『 ムラカ 』を国名にして開祖を宣言しました。

時は1396年

そして、皇太子はマラッカ王国の初代国王 パラメスワラ王として即位し、のちに東西交易で世界に馳せる国へとなっていったわけです。

ムラカって木の名前だったんですね

こんな木...

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そんな木を見た後、丘の上へ。

そこにはフランシスコ・ザビエルの石像が建っていました。

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ザビエル...

そうです。

日本の歴史にも出てきたこの人は、日本にキリスト教を布教したといわれている、スペインはバスクの人ですが、日本人がよく知ってる姿は
黒い服を着て手を胸の前でクロスさせ、頭のてっぺんがちょっと地肌が見えている、そんな姿ですね。

このザビエル、イエズス会創設時のメンバーで、ポルトガルのジョアン3世の命により、キリスト教を布教させるためにヨーロッパを旅立ち、このマラッカへやってきました。

1511 年のことです。

当時はイスラムの国だったのですが、ザビエル達イエズス会の宣教師が布教した...ま、植民地としたおかげでキリスト教国へとなって言ったわけですね。

そのついで...に日本にもやってきました。

ザビエルが上陸したのはこの奥の方らしいです。

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奥の方に海が見えますが、当時はもっともっと手前に海岸線が来ていたそうですよ。

日本はヨーロッパから見ると最も遠い場所にある国の一つで、その存在は全く知られていませんでした。

いまだに、ヨーロッパの人、日本がどこにあってどんな国なのかって知らない人、結構多いですよ

中国の一部だとか、そんな感じで見ている人、多いですからね

我々も、ポルトガルがスペインの一部って思ってる人も結構いるし、ザビエルでさえポルトガル人だってわけのわかんないこと言ってる人もいるみたいですからね

ま、ザビエルはこてこてのバスク人だったんですが、ポルトガル王の元、日本に来たわけですから、紛らわしいっちゃ紛らわしいんですけど。

そんなザビエル、このマラッカで一人の日本人に出会ってから日本って国を知ったようです。

その人の名は、やじろう

この人のことはあまり詳しくはわかってないそうですが、鹿児島県出身で、若いときに日本で誤って人を殺めたため、このあたりの地を転々としていたんだそうです。

そのやじろうとザビエル、何となくウマがあったようで、その後、一緒に日本に訪れることになったんだそうです。

そんなザビエルが 46 歳の時、中国への布教のため上陸を待っていた時に亡くなってしまいます。

一旦このマラッカに遺体を持ってきて9カ月安置されていました。

その場所がこのセント・ポール礼拝堂

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壁だけとなったこの礼拝堂の奥に安置されていたそうです。

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ちゃんとイエズス会のマークがありますね。

カトリックの信者さんたちにとっては、今でも聖地で巡礼者も結構来られているそうですよ。


そんな聖地を見学した後、丘を反対側に降りて、サンチャゴ砦へとやってきました。

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この砦は、1511 年にポルトガルによって建てられたものです。

当時はこの砦のこっち側は海だったそうで、海から守るための要塞として建てられたものです。

見晴らしのいいセントポール礼拝堂のある小高い丘の上に司令部が置かれ、そこに入ってくる敵を阻むためにこの周りには、4m もの城壁が張り巡らされていたそうです。

そして4つの門があったそうですが、そのうちの一つで現存する唯一のものがこのサンチャゴ砦と呼ばれているところです。

そんなわけで、マラッカの歴史を楽しんだ後、お昼ご飯へ


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