ブッダが覚りを開いたブッダガヤという町は、仏教にとって重要な聖地の一つ

そのブッダガヤから車で 15 分ほど行ったところに、スジャータ村があります。
そこへ行く途中に、ブッダが沐浴したと伝えられている「 ニランジャナ川 」 を渡ります。
日本の仏典には「 尼連禅河 」って書いてある、あの川です。
沐浴をしたっていうから、ガンジス川のような川かなと思っていたら、この時期は水は無し。
雨季のころ数カ月のみ、水が流れるってことなので、ブッダが沐浴したのはそのころなのかな?
ちなみに前回ここに来たときは、たっぷりと水がありましたよ

今回来た、約1カ月前のことでしたが。
そんなわけで、スジャータ村でブッダがスジャータという女性から、
乳粥の供養を受けたとされる場所にまたまたやってきました

このあたりの物語は、前回の記事を見てね。
こんな感じで受けたのかな?
この日もスリランカやミャンマーからの巡礼団が多数この地に多数訪れてました。
ブッダは...( 覚りを開く前なので釈迦はと書くべきなのかな ) この村のはずれにある、前正覚山で、覚りを開くために6年にわたって ( 7年という説もあります ) 厳しい苦行をしました

食物は施しによってのみ得、衣服は人々が捨てた布を縫いあわせた作りました。
さらには断食、不眠、呼吸の制御などを行い、生きるか死ぬかというところまで自分を追い込んでいきます

このまま修行を続けていたら、釈迦は悟りを開く前に死んでしまっていたかもしれません

どれだけ過酷な修行をしても、心の平安を得られない釈迦は修行を断念して、里におりました。
そこでスジャータという少女と出会います。
ボロボロでがりがりにやせ細り、生きるしかばねと化した状態の釈迦が、休憩を兼ねてニランジャナ川で沐浴をしている姿をみたスジャータは、乳粥を提供するわけです。
釈迦は始めはその申し出を断ろうと思ったが、乳粥を食べて生気を取り戻し、菩提樹の木の下で瞑想して覚りを開いたとされています。
ま、細かいことはいろいろとありましたけどね。
苦しいことばっかりしても意味がない

かといって楽ばっかりしてもダメダメ

スジャータも言っていました。
「 琴の弦は締めすぎると切れてしまう、
絞め方が弱いと音も悪い、
琴の弦は中くらいに締めるのが丁度良い 」
絞め方が弱いと音も悪い、
琴の弦は中くらいに締めるのが丁度良い 」
これを聞いた釈迦は ❝ 苦楽中道 ❞の悟りを得たと言われています。
何事もほどほどに...ね

そんなスジャータの家があったとされているところにストゥーパが建っていました。
昔もそうだったかもしれませんが、現在ものどかなスジャータ村。
この奥の奥に、前正覚山があるんですが、ちょっとかすんでいて見えないです。
この乳粥ってのは、お米にお砂糖を入れてミルクで煮たものです。
食事というよりもスイーツに近いものがあります。
現代でも、例えば各国のスィーツで
ARROZ CON LECHE・・・スペイン
RICE PUDDING・・・イギリス
Milchreis・・・ドイツ
Risengrød ・・・デンマーク
Risgrynsgröt ・・・スウェーデン
など、似たようなものが多いですよ。
僕はちょっと苦手ですけどね

ちなみに 「 スジャータ 」と聞いて
コーヒーに入れるミルクを思い出した人...
多分いらっしゃると思います。
めいらくのコーヒーフレッシュ「 スジャータ 」 の名前の由来は
まさにこの女の子の名前から来てるんですよ。

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