2016年11月16日

入滅の地クシナガルの涅槃堂


ホテルから車で 5 分ほどのところにお釈迦様の涅槃堂があります。

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35 歳で覚りを開き、その後さまざまな場所で説法を説き布教活動をした仏陀は、その時 80 歳の高齢になっていました。

当時、釈迦が仏教を布教して、また仏教国最大であったマガダ国の首都である王舎城 ( 現ラージギル ) の霊鷲山にいた釈迦は、自分が幼いころに育ったネパールとの国境に近い、カピラヴァストゥに向かおうとしていました。

その時付き添っていた弟子は、阿難・アーナンダと数人の修行僧のみ。

他の弟子たちはそれぞれ独自に仏陀の説法を説いて、いろいろな地に布教に出かけていました。

お釈迦様の旅は、いつも各地で多くの人々に説法をしながらのものです。

旅の途中、ガンジス河を渡ってヴァイシャーリーに差し掛かった時、雨期に入ったので近くの村で雨安居 ( 雨を避けて留まっている ) をしていると、突然お釈迦様の身体に激痛が走ります。

病に苦しみながらも旅を続け、マッラ国のパーパーに着いたときのことです。

パーパーでは鍛冶工チュンダがマンゴー林でお釈迦さま一行に朝食の供養を申し出ました。

チュンダは前夜から出来うる限りのごちそうの準備をし、翌朝一行に供養しました。

ところがお釈迦様は他の人たちを制止し、たくさんの料理の中から 「 スーカラ・マッダヴァ 」 という料理だけを口にして、残りはすべて土の中に埋めさせたのです。

おそらく釈迦は死期が近づいており、神経も研ぎ澄まされてピリピリとしていたんではないかと。

なのでこの料理を食べたらやばいということがもう感覚で分かっていたのかもしれませんね。

「 スーカラ 」 は 「 野豚 」 という意味で、「 マッダヴァ 」 は 「 柔らかい 」 という意味があるので、「 スーカラ・マッダヴァ 」 とは 「 野豚の肉 」 と解釈されていたんですが、現在では 「 野豚の好むキノコ 」 ということで、「 特殊なキノコ料理 」 だと考えられています。

とは言え供養の食事が終わると、チュンダに対しても説法をし、生き方を戒め、生きる勇気と心の安らぎを与えました。

しかしほどなくして、お釈迦さまはほとばしり出る鮮血とともに強烈な腹痛に見舞われます。

「 激しい病いが起こり、赤い血が迸ほとばしり出る、死に至らんとする激しい苦痛が生じた 」

赤痢のような食中毒と言われています。

その時お釈迦さまは、そばにいたアーナンダに

「 私の生涯において最上の食事となったのは、( 覚る直前に ) スジャータが供養した乳粥であり、もう一つはこのチュンダの供養である。この二つの供養に無上の感謝を捧げる 」

とチュンダへの言葉をアーナンダに託します。

チュンダのもてなしに対する感謝と配慮です。

病におかされ、体調もボロボロのお釈迦様はそれでも旅を続けていきます。

クシナガルまで来たとき、アーナンダに寝台を用意させます。

二本並んだ沙羅双樹の木の間、頭は北向きにして横たわります。

その時、沙羅双樹の白い花が季節外れの満開になったと言い伝えられています。

その場所に現在では二本の沙羅双樹の間に涅槃堂が建っています。

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この涅槃堂は、ミャンマーの信者さんたちが建てたものです。

中には、最後に沐浴をされたといわれるヒランヤパティー川の川底から発見されたという、5 世紀に作られたとされる 8m の涅槃仏が安置されています。

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各国から来た信者さんたちは、それぞれの国の宗派に従ってお祈りをされています。

スリランカから来た巡礼団の方々は、皆さん白い衣服をまとい、この涅槃像にオレンジの布をかぶせ、それを持って帰るということをされていました。

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また、お堂内でかたまって皆さんでお祈りもされていました。

外ではお線香をあげている方々も。

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裏手にある仏塔の片隅では、タイから来たお坊さんたちが説法を聞かれていました。

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最近の説法は iPad を使ってやってるんですね...

時代を感じますよ。

お釈迦様が亡くなる直前、スバドラという行者がお釈迦さまに会いに来ました。

アーナンダはお釈迦様は疲れているといって拒絶しますが、それを聞いたお釈迦様はスバッダに法を説かれました。

感銘を受けたスバドラは出家し、お釈迦さまの最後の直弟子となったといわれています。

スバドラを最後の弟子とした後、お釈迦様は周囲の弟子たちに何か質問はあるかと問います。

お釈迦様は 3 回尋ねられたんですが、3 回目に、アーナンダが教義に疑いを持っている者はいないことと、今悟りを味わっていないものも、教えにより必ず悟りを開くであろうことを伝えます。

最後、お釈迦様はアーナンダをはじめとする修行者たちにこう告げます。

アーナンダよ、あるいはのちにお前たちは
このように思うかもしれない。
「 教えを説かれた師はましまさぬ、
もはやわれらの師はおられないのだ 」と。
しかしそのように見なしてはならない。
お前たちのためにわたしが説いた教えと
私が制した戒律とが、わたしの
死後にお前たちの師となるのである。
・・・・・
そこで尊師は修行僧たちに告げた。
「 さあ、修行僧たちよ。お前たちに告
げよう、『 もろもろの事象は過ぎ去る
ものである。怠ることなく修行を完成
なさい 』 と。」

マハーバリニッパーナ・スッタンタより



その後お釈迦様は瞑想に入り、明け方近くにその生涯を終えられました。

満八十歳の年、2 月 15 日のことでした。

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お釈迦様が亡くなった後、荼毘に付されました。

お釈迦様の遺骨については、独り占めしようとするマガダ国や釈迦族などの間で戦が起こりかねない事態にまでなったものの、ドローナというバラモンが仲裁し、
八等分されそれぞれの国で供養されています

またその後、アショーカ王が 8 万 4000 に分配し、それぞれのストゥーパで供養されているという伝説もあります。

その後の仏教教団は二代目を大迦葉 ( マハーカッサパ ) に、そして三代目が阿難 ( アーナンダ ) として、途中、お釈迦様の教えを正確に伝えるための結集を何度も行いながら、世界に教えを伝えていくわけです。


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posted by まいど! at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | インド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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