2018年10月28日

聖地クシナガルの涅槃堂


クシナガルのホテルで一泊した後、朝一番で涅槃堂に行きました

ブッダの最期のことは前回記事で書いたので、そちらを見ていただくことにして...

朝の涅槃堂

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ちょっともやがかかっていてなかなかいい雰囲気です

で、近づいて行って...

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朝もはよからたくさんの人がいらっしゃっていましたよ。

結構多かったのが、ミャンマーやスリランカからの巡礼団でした。


ブッダは 80 歳の時、布教活動の拠点としていたマガダ国の首都、王舎城 ( ラージャグリハ ) より生まれ故郷のカピラヴァットゥを目指して歩いていきます。

病に苦しみながら、マッラ国のパーパーで、チュンダという金属細工師 ( 鍛冶工 ) に 「 スーカラ・マッダヴァ 」 というキノコ料理の供養を受けました

この辺のことは前に書きました

激しい下痢に襲われながらも、クシナガルに到着した時、ブッダは弟子のアーナンダにこう言います。

さあ、アーナンダよ。
わたしのために、二本並んだサーラ樹 ( 沙羅双樹 ) の間に、頭を北に向けて床を用意してくれ。
アーナンダよ。
わたしは疲れた。
横になりたい。

大パリニッバーナ経より


ここから「 キタマクラ 」 が 「 死 」 を意味することになったんですね。

頭を北に向けて寝るというのは、インドでは昔から教養ある人々の間ではよく行われていることだそうです。

北枕で右脇を下に向けて西に向かって臥すというのはインドでは最上の寝方なんだとか。

最後までブッダのそばにいつもいたアーナンダは、ついにわが師がお亡くなりになると思って、

「 住居に入って、戸の横木によりかかって、泣いていた 」 と言われています。

これを聞いたブッダはアーナンダを呼び、こう言います。

やめよ、アーナンダよ。
悲しむな。
嘆くな。
アーナンダよ。
私は、あらかじめこのように説いたではないか、
〜 すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至る 〜
ということを。
およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破壊しないように、ということが、どうしてありえようか。

アーナンダよ。
長い間、お前は、
向上し来れる人に仕えてくれた。
アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた。
つとめはげんで修行せよ。
速やかに汚れのないものとなるだろう。

大パリニッバーナ経,より


お亡くなりになる直前、スバドラという行者がブッダの死期が近いことを聞いて、ブッダに会いに来ました。

アーナンダはブッダは疲れているといって断りましたが、しかしブッダはスバッダに法を説きました。

感銘を受けたスバドラは出家し、お釈迦さまの最後の直弟子となったといわれています。

さらにブッダはアーナンダをはじめ、修行僧たちに法を説かれた後、最後に、

さあ、修行僧たちよ、お前たちに告げよう、
「 もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい 」


と言いました。

これがブッダの最後の言葉であったと経典は伝えています。

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この涅槃像は全長 8m あり、各国から来た信者さんたちがそれぞれお祈りをささげていました。

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涅槃堂の外でもたくさんの信者さんがお祈りをしていたり、お坊さんが説法をされていました。

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我々もお参りをした後、この地を後にしました。

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広い場所にポツンとある涅槃堂。

朝早かったせいか、何となくパワーを感じる幻想的な感覚になりました。

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この涅槃堂の手前にある遺跡は、アショカ王によって建てられた仏舎利塔の跡です。

その後この地に入ってきたイスラムによって破壊されてしまったそうです。


こちらのお堂の見学の後、車で数分走ったところ、ブッダが荼毘に付された場所に行きました。

その場所には、ラーマーバル・ストゥーパがあります。

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いつもお線香がたかれていますよ。

ブッダの最期の地、ポツンと涅槃堂が建っているだけの何となく寂しい場所でした。


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posted by まいど! at 06:00| Comment(0) | インド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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