2014年06月13日

ジェロニモス修道院〜教会堂


リスボンの市内観光は、まずはベレン地区から。

以前、ポルトガルのいろいろな地名は、キリストにちなんだ名前が多いと書きましたが、このベレンというのは、イエスの生誕地、ベツレヘムという意味です。


そのベレン地区の一番有名な建物、世界遺産にもなっているのが、
こちらのジェロニモス修道院です。

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相変わらずすごい人たちが、入場のための行列を作っています。
まずは、修道院併設のサンタ・マリア教会から。

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この建物、ヴァスコ=ダ=ガマのインド航路発見を記念して、エンリケ航海王子が設計した礼拝堂を基に、マヌエル一世によってつくられた修道院です。

その資金は、胡椒取引の利益で賄われたらしいです。

マヌエル様式の極致であり、マヌエル様式を見るなら ここ 的な存在です。


入り口からして、こんな装飾ですからね。

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内部はすごそうです。

中の柱も細かーな彫刻がたくさん施されていますが、よく見てみるとマヌエル様式の 「 ごちゃ混ぜ 」 的な装飾がきれいでした。

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近づいてみると

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てな感じでね。

ステンドグラスもとてもきれいですよ。

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さて、この教会の中には、2人の有名な方のお墓があります。

一つは、ポルトガルの偉大な詩人 「 カモンイス 」 です。

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そうですね。
あの、ロカ岬で 「 ここに地果て、海始まる 」 と書いた人ですね。

別にロカ岬で書いたわけではありませんが...


もう一人は、世界史でおなじみの 「 ヴァスコ=ダ=ガマ 」です。

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彼はインド航路を発見したということで、有名ですが、もうひとつ、この墓から読み取れる彼の一面があります。

左のところに十字架が刻んでありますね。

この上下左右に飾りのついた十字架は、テンプル騎士団の十字架でした。

そうです。
ポルトガルが世界に派遣したキリスト騎士団の前身は、1096 年ごろにおこった、テンプル騎士団なんです。

本聖地の保護、巡礼者の保護などを目的に作られたこの騎士団は、だんだんと勢力をつけていき、地中海の制海権を独占して、独自の船舶を保有するに至りました。

また、中東へ兵員を輸送するだけでなく、巡礼者も金を取って輸送。

その帰りは、香料やシルクなどの中東の物産を積載して、ヨーロッパで売りさばいて、莫大な富を得るようになりました。

その勢力に脅威を感じたフランス王、フィリップ4世は、フランス王の意のままに動く、ローマ教皇クレメンス五世に働きかけ、騎士団の迫害、財産没収、異端審問、滅亡を試みた結果、1311 年のヴィエンヌの公会議において、公式に解散させられキリスト教世界からは、抹消されました。

ところが、数年後、テンプル騎士団は、「 キリスト騎士団 」 と名前を変え、ポルトガルを中心に活動することになりました。

ローマ法王の命令で、旧テンプル騎士団の資金の一部がこの騎士団にまわされたという話も残っています。

この新しい教団は、豊富な資金で、船を作り、大航海時代に突入していったわけです。

ちなみに初代騎士団長は、エンリケ航海王子です。


なので、ポルトガルの船をよーく見てみると、帆などに、この十字架が描かれていたりしていますよ。

キリスト教の名において

侵略していった戦いは、全て神の御加護のもと、正義の戦いとなったわけです。

この騎士団の話、話し出すとほんと 2 日くらいしゃべりまくってしまいますので、この辺にしておきましょう。

とっても謎めいていて、フリーメイソンとの絡みもあって、ぞくぞくしてきますよ。

あの、「 ダ = ヴィンチ・コード 」 にも、その一部が書かれたりしているので、興味を持たれてる方も多いかもしれませんが。


こちらには、懺悔室なんかのドアが並んでいます。

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教会を見た後は、回廊の方に行ってみました。

その回廊の近くから、この教会の内部を上から見ることができたので、撮ってみました。

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では次へ...


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posted by まいど! at 18:00| Comment(0) | ポルトガル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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