2014年10月01日

シャトーホテルでディナー


ジベルニーの見学の後は、ベルサイユ宮殿を見学し、そのままパリを一旦通り越して、空港のチョイ北にあるシャンティーのシャトーホテルへ。

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CHATEAU DE MONTVILLARGENNE です。

本シャトー・デュ・モンヴィラルジェンヌは、6 ヘクタール ( 15 エーカー ) という広大なシャンティイの森に囲まれた閑静な街の庭園の敷地に建つ、かの有名なロスチャイルド家が、かつて所有したフランス最大のシャトー.ホテルです。はるか昔パリの王侯貴族は、このシャンティイの地を訪れては森の中やその周辺に狩猟用の城館を建築。そのいずれのシャトーも、その城壁の中にそれぞれの一族の歴史を秘めています。

 「 ロスチャイルド家 」 というのは耳にしたことはありますでしょうか?
 かつて 16 世紀、フランクフルトのユダヤ人居住区で、アイザック・エルシャマンは赤い日除けが目印の小さな家の住人でした。この赤い日除けはドイツ語で 「 Rot Schild 」。アイザックの子孫がこの苗字を継承し、類まれにみるファミリーの名前 「 Rothschild 」 の由来となるのです。

 その後数年間、大きな変化はありませんでしたが、ロスチャイルド一族のひとりメイヤー・アムシェル ( 1743 〜 1812 ) の時代になり変化が訪れます。このメイヤーはコインを専門とする骨董品の仲買人で、グルテュ・シュナッパーという女性と結婚し、女の子 5 人と男の子 5 人の計 10 人の子宝に恵まれます。メイヤーはこの 5 人の息子たちに自分の仕事を分け与え、彼の矢筒を満たすように、息子たちを 5 つの矢に例えました。この 5 つの矢はメイヤー・アムシェルの跡継ぎを意味し、一族の上着のそでにはそのマークが入れられるようになり、同家の紋章となります。1822 年にオーストリアでロスチャイルド家が正式に男爵の貴族称号として認められ、それ以降貴族の象徴である 「 de 」 を加えた 「 de Rothschild 」 と名乗ることができるようになります。また、メイヤーや世界に自分の後継ぎがビジネスを牛耳れるようにと、それぞれの息子を異なる国に住まわせました。                     
 
 メイヤーの長男であるナザンは、ナザニエルという男の子を含む何人かの子供に恵まれました。ナザニエルは、フランスロスチャイルド家の一代目に当たる、いとこのジェームズの娘シャルロットと結婚します。結婚の後、ジェームスは娘がロンドンに戻ることを許さなかったことから、彼らはパリにとどまるようになります。シャルロットは 4 人の子供に恵まれ、そのうちのひとりナザン=ジェームス=エドワードこそが、このシャトー・ド・モンヴィラルジェンヌの未来の所有者であり、その後シャトーは娘のジャンヌに引き継がれていきます。

 シャトー・デュ・モンヴィラジェンヌの歴史は、19 世紀にまでさかのぼります。当時フランスの田園に家を探していたジェームズ=エドワード・デュ・ロスチャイルドは、フランス最後の王ルイ・フィリップの息子、オマール公が所有していたシャトーを購入します。かつてより美しい自然、競馬などの影響で、すでに裕福な人々の多くがこのシャンティイの住人となっていました。しかし彼は若いうちに他界してしまい、結局このシャトーで暮らすことはありませんでした。
 未亡人となった妻のテレース・デュ・ロスチャイルドは、このシャトーの住所でもあるグビューの町に学校、病院、図書館などを建設、今でも功績のある女性として彼女の名前は街の通りにも使用されています。
 
その後、娘のジャンヌ=シャルロット・デュ・ロスチャイルドが引き継ぎ、シャトーの歴史の幕が開かれます。1914 年のことです。しばらくはジャンヌ個人のシャトーとして使用されていましたが、ジャンヌが他界すると、すっかりこのシャトーもその住人を失い後輩の地と化しました。
 
 1941 年、第二次世界大戦が勃発すると、シャトーは約 500 名のドイツ軍の占領下となりました。
 
 1944 年には、イギリス軍がシャトーに爆弾を投下し、西側の塔はすっかり破壊されてしまいます。
 1945 年、教会の聖職者により、このシャトーは買い取られ、裕福な家庭の淑女が通う寄宿学校として使用されました。しかしその経営は長く続かず、1969 年、その扉は閉ざされます。
 
 1971 年、LE CREAR という地域の芸術、文化を振興させる愛好家センターによって再開。
 
 1975 年にはホテルスクールとなり発展を遂げました。
 
 1985 年、建設から半世紀以上の歴史を経てシャトーホテルとして生まれ変わり、その規模はフランス最大です。今でも現存するシャトーの正面のテラス、そして階段は当時のままの美しさを残しています。

【ホテルの日本語案内冊子より一部抜粋】



というわけで、なんかよくわかんないけど由緒あるホテルなんですねわーい(嬉しい顔)たらーっ(汗)

ここでのディナーはメインダイニングで。

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メニューが正式に来てなくってウェイターに確認したんだけど、なんか良くわからなかったんですよね。

一応前菜はフォアグラだったんだけど、フォアグラのどんなの?
って聞いても、
I don't know ばっかりで要領を得ない...むかっ(怒り)

Mi-Cuit ?

I don't know.

Terrine ?

I don't know.

Poele ?

No.

って、やっぱりポワレではないんですよね

じゃぁ、どんな調理法なのって聞いても、

「 フォアグラはフォアグラじゃ...」

ね、話になりませんね。

ということで、恐らくテリーヌのようなものだと思ってごあんなーい。

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ま、そんなもんでしたね。

でも、品質は...
今回のはイマイチでしたもうやだ〜(悲しい顔)

ちょっと残念バッド(下向き矢印)

メインは、サーモンを蒸したものにパスタの付け合わせ

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そして、デザートは、ピスタチオのタルト

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これが一番おいしかったかな...わーい(嬉しい顔)

というわけで、前回いただいたときはとってもサービスも良くっておいしかったのですが、今回はちょっと残念でした。

たまたま担当になったウェイターが悪かったのかな?


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posted by まいど! at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | フランスの食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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