2014年10月02日

シャンティイ城の美術館〜1


パリの北、約 60km のところにあるシャンティイ城

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19 世紀のフランス最後の王、ルイ=フィリップの 5 番目の息子として生まれた、オーマル公が弱冠 8 歳のときに、この城を相続しました。

城自体は、14 世紀に建てられ、16 世紀にはモンモランシー家の手に渡り、その後の婚姻で親戚関係になった、ブルボン=コンデ家の所有となりました。

フランス革命のときはこのお城も例外ではなく、革命軍の手によって城は傷つけられ、中の調度品はほとんど持っていかれてしまいました。

ナポレオン三世の帝政が始まると、王族であったオーマル公はイギリスに亡命します。

当時のイギリスには、フランスから逃れた貴族がたくさん暮らしていたそうです。

それに、フランス革命なんかで持っていかれた、18 世紀以前のコレクションもたくさんイギリス人の手に渡っていました。

そこで、大変な美術品コレクターでもあり、書物愛好家でもあったオーマル公は、たくさんのオークションを周り、いろいろな調度品、美術品を購入しました。

この時代に、いわゆる 「 コレクション 」 って概念が定着していきます。

そして、長い亡命生活の間に、「 コンデ公爵家の歴史 」 も執筆します。

1871 年にフランスに帰国した際には、その収集品は質、量ともに第一級の個人コレクションとなっていました。

彼がフランスに帰国する直前に、大切な妻や、最後のコンデ公となった 息子を亡くします。

彼はその寂しさをうめるかのように、帰国後すぐにシャンティイの工事に力を注ぎ込みます。

1880 年代に入ると、政情は王族にとってますます冷たいものになってきます。

オーマル公は我が身と城、そして城を飾る彼のコレクションの安全と名誉を守るため、城を含む領地とその内部にある美術品をすべて、一般に公開することを前提に、自ら会員であったフランス学士院に寄贈します。

ただし...

「 絶対に陳列品の配置を変えないこと 」

「 コレクションを常に完全な状態で保管する、よって貸出を禁止する 」

という条件が出されました。

現在もシャンティイ城はフランス学士院が所有していますが、オーマル公が出したその 2 つの条件のおかげで、19 世紀の姿をそのまま保っています。

当時の絵の飾り方や美術品の趣味などを知るのにも、比類なき証人として。

城の中を歩いてみると、オーマル公の意志、教養、祖国や祖先を愛し敬う気持ち、誇りといった、彼の人となりを感じさせるものにあふれています。

お城の歴史、オーマル公の人となりを知った上でこのお城を見学すると、なかなか感慨深いものを感じますね。

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そんなシャンティイ城のコンデ美術館を見学しに行きました。


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posted by まいど! at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | フランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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