2014年11月16日

ザグレブ聖母被昇天大聖堂へ


ザグレブの大聖堂は正式な名前を 「 聖母マリア被昇天大聖堂 」 と言って、聖母マリアと聖ステファンを祀っています。

CIMG4400.jpg



二つの特徴ある鐘楼は、104m と 105m と 1m 違うらしいんですよ。
なんでかな?

ファサードはかなりきれいになってきたんですが、まだちょっと上の部分が修復工事中ですね。

最初の建物は、以前からあった教会を 1094 年に建て替えて、ロマネスク様式の大聖堂としました。

その後、1242 年にモンゴル軍の侵入で破壊されたあと、13 世紀末にゴシック様式で建て替えられました。

オスマン帝国軍が攻めてきたときは、その侵入に備えてまわりに城壁が 1512 年から 1521 年に建設されたのですが、17 世紀にオスマン軍が撤退した後には塔の建設が再開されて、その際にはバロック様式に建て替えられたということです。

現在の大聖堂の外観は 1880 年のザグレブ大地震後にドイツ人建築家へルマン・ボレーの設計によってネオゴシック様式で修復されたものです。

でもね、作った時は彫刻しやすいという理由で砂岩で造ったそうな。

なので、もろくなってしまったので、現在石灰岩で造り変えている、そんな工事をしているんだそうですよ。

中はこんな感じで。

CIMG4402.jpg



中にはいろいろとあったのですが、まず気になったのはこちら。

CIMG4404.jpg



これは、グラゴル文字といって、スラブ圏最古の文字だといわれています。

ギリシャ正教会の司祭キュリロスと兄メトディオスが、異教徒への布教のために考案した文字だそうです。

その後、キュリロスの弟子が、このグラゴル文字を改良して作ったのがキリル文字だといわれています。

細かく見て行くと、

なんか祭壇っぽいですよね。
蝋燭立をひっくり返したような な文字とか、
これは羊の様ですが...

とまぁ、宗教に関係するもので文字を作ったそうですよ。

こちらはカテドラルの名称の由来ともなる、司教様のお椅子、司教座です。

CIMG4406.jpg



祭壇の真ん中には、ガラスケースに入った、
Alojzije Stepinac ( アロイジエ・ステピナツ ) のお墓があります。

CIMG4407.jpg



この人は、1937 年から 1960 年までザグレブ大聖堂の司教となった方です。

彼は枢機卿までいったのですが、バチカンとクロアチアを断絶させる政策を拒否したことや、正教会信徒のセルビア人をカトリックに強制改宗させるのを許可したことへの共謀罪などで、軟禁されてしまいます。

しかし後に、当時の法王ヨハネパウロ二世により、1998 年、無罪であるとともに殉教者と宣言して列福、聖人の階層の一つである福者として認められました。


にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ
にほんブログ村


  






posted by まいど! at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | クロアチア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック