2015年11月10日

ハプスブルク家夏の離宮見学


ウィーンを語るにはハプスブルグ家を知っているのと知らないのとでは、全然イメージが違ってきます。

もともとは、スイスの北東部からドイツ西南部の一貴族だったハプスブルク家ですが、1273 年、ルドルフ一世が神聖ローマ帝国の皇帝になったのをきっかけに、どんどんと領土を広めていきます。

彼らは戦争をして領土を獲得するのではなく、
できるだけたくさんの女の子を産み、ヨーロッパの諸侯たちにお嫁にやって親戚関係を築いていく、そんなやり方で領土を広げていきました。

「 戦いは他のものにさせるがよい、汝幸あるオーストリアよ、結婚せよ 」

15 〜 16 世紀に活躍した有名なマクシミリアン一世の言葉であり、ハプスブルク家の家訓でもありました。

その中でも超有名なのが、マリアテレジアの娘、マリーアントワネットですね。

フランスのルイ十六世の元へお嫁に行ったあの人です。

第一次世界大戦の敗戦後、1918 年に崩壊するまで、650 年にわたって中央ヨーロッパに君臨していました。

そんなハプスブルク家の遺産がたくさん残っているウィーンですが、特に有名なものの一つに、世界遺産でもあるここシェーンブルン宮殿があります。

DSC02005.jpg



17 世紀初頭、皇帝マティアスが狩猟用の館の近くの森で、きれいな水が湧き出す場所を発見しました。

美しい泉 Schöner Brunnen ( シェーナー ブルネン )

という意味のこの場所は、その後、皇帝レオポルト一世がフランスのベルサイユ宮殿を手本にして、それ以上の豪華な建物を作ろうとがんばったんですが、残念ながら財政難などでその規模は縮小されました。

後の 1743 年、マリアテレジアが大改装して現在の姿になりました。

ここでの有名な話は、例えば
マリーアントワネットがフランスに嫁ぐ 15 歳までここで育った
とか、
6 歳のモーツァルトがマリアテレジアの前で演奏した
とか、
ナポレオンがウィーンを占領したときにここに滞在した
とか、
ハプスブルク家最後の皇帝カール一世が 1918 年に退位文書に署名し、翌日宮殿はオーストリア共和国のものになった
とか...

宮殿の部屋数は、1441 あり、そのうちの一部分が一般公開されています

後の部分は、一般の人たちの賃貸住宅として使用されています。

昔は、公務員の宿舎として使われていたんですが、現在は誰でも借りることが出来るみたいですよ。

でも、結構不便らしくて人気はあまり無いみたいです

でも...

いいですよね。

住まいが本物の宮殿なんて...

後は、ホテルのような一般客向けの宿泊施設もあるみたいですよ。

と、そんなわけで、建物の中は撮影禁止だったので、写真は撮ってませんが、裏に広がるきれいな庭園はこんな感じ...ということで撮ってみました。

DSC02007.jpg



一番奥の小高い丘の上に建っているものは、グロリエッテって言って、1775 年に対プロイセン戦の勝利と戦没者の慰霊の為のギリシャ建築の記念碑です。

まだ未完成なんだそうですが。

そのかなり手前の大きなのは、ネプチューンの泉と言われている噴水です。

夏場は水が出ているんですけどね。

こちらは庭園側から見た本館。

DSC02021.jpg



そしてその脇には、これまたきれいな小さなお庭もありました

DSC02006.jpg



夏場はものすごい人で賑わうんですが、この時期は人影もまばらで、観光するにはもってこいですね。

と言うわけで、総面積約 1.7㎢ もあるお庭の一部をちょっと歩いてみました


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posted by まいど! at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | オーストリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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