2016年04月18日

ゲーテ終焉の地ヴァイマール


ヴァイマール ( ワイマール ) といえばこの銅像ですね

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って言われても、僕も実際ここに行くって決まっていろいろと調べて初めて知ったんですが 💦

この、ナショナル劇場前に立つゲーテとシラーの像ですが、1857 年に彫刻家エルンスト・リーチェルが制作しました。

ゲーテは 26 歳でここにやってきたんですが、
当時は、ザクセン=ワイマール=アイゼナハ大公国の首都だったところで、その宰相となりました。

82 歳で亡くなるまでこのヴァイマールに住み、大作 「 ファウスト 」 も亡くなる一年前に仕上げています。

また、ゲーテに招かれてやってきたシラーは、ゲーテの家から歩いて 10 分くらいのところに居を構え、1802 年から亡くなった 1805 年までここに住んでいました。

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ベートーベンの第九で歌われる、「 合唱付き 」 の歌詞である、「 歓喜の歌 」 や、ロッシーニのオペラで有名な戯曲 「 ウィリアム・テル 」 も、時代的にこの家で執筆したみたいですね。

現在は博物館になっています。

というわけで、ここからゲーテの家に向かって歩いていきました。

途中、これは普通のドイツ全土のチェーン店であるデパート 「 KAUFHAUS 」 なんですが、

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シラーって書いてますね

そしてこちらがゲーテの家

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1782 年にここに引っ越してきて、1832 年に 82 歳で亡くなるまでの 50 年間、ここに住んでいたそうです。

モダンな感じの入り口で入場料を払って、中庭を通り、

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こちらが各お部屋。

たくさんの部屋がありましたよ。

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こちらはゲーテが使っていた時代の馬車...かな。

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ゲーテが息を引き取った寝室もあったのですが、ちょっとバタバタして写真は撮ってないんですよね

また今度撮ってみよう。

さてお次は、フランツ・リスト音楽大学

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リストは、1848 年 2 月に常任の官邸楽長となりここヴァイマールで活躍しました

1835 年にフランツ・リストが、先駆けた音楽学校の建設を計画。

その後、リストの意志を継いだ弟子達によって、1872 年にリストの名を冠した音楽大学が創立しました

日本人の五嶋みどりさんも、2013 年のゲスト講師としてバイオリンを教えていたそうですよ

そしてこちら遠くにあるのが、16 世紀に建てられた宮殿で、現在の美術館です。

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しかし、1774 年の火事で、 塔だけを残して焼失したんですが、1803 年に再建されました。

再建に当たっては、当時、建築委員のひとりであったゲーテの意見が、かなり影響を与えたといわれています。

さて、最後に来たのがマルクト広場

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遠くに見える立派な建物は市庁舎です。

ここの鐘が素晴らしくて、全部マイセンの焼き物なんですよ。

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音はちょっと小さいけど、とっても澄んだ音が鳴ります

というわけで旧市街を一通りまわった後、駐車場に向かう途中に市の教会、
「 ヘルダー教会 」 がありました。

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この中に、クラナッハの描いた宗教画があってちょっと見たかったんですが、残念ながらなんか特別な催し物があって見られなかったです。

残念...


で、ここヴァイマール、もうひとつ有名なのがヴァイマール憲法 ( ワイマール憲法 )

第一次世界大戦でドイツが敗戦を迎えた 1919 年、ゲーテとシラーの像があった後ろのナショナル劇場で国民議会が開かれ、ワイマール憲法が選択されました。

世界一民主的といわれた憲法です。

ヒトラーが登場して消滅するまでの 14 年間だったのですが、
最初のドイツ共和国が誕生した瞬間でした。

ちなみにこの劇場で、ワーグナーの歌劇 「 ローエングリーン 」 の初演が行われました


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posted by まいど! at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ドイツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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