2014年12月05日

スルジ山から旧市街を眺める


バルカン半島の旅、最終日は夕方の飛行機に乗るまでの間、ドブロブニクの裏山...
というかそこにあるスルジ山にのぼってみましたぴかぴか(新しい)

標高 412m のこの山には、1969 年 7 月 21 日にアドリア海沿岸沿いの国としては初めてロープウェイがオープンしました手(チョキ)

なのでとても人気があり、たくさんの人たちが訪れるようになりましたわーい(嬉しい顔)るんるん

ところが、1991 〜 1995 年におきたセルビア紛争の時にロープウェイが壊されて、その後は車か徒歩でないと上れなくなりましたもうやだ〜(悲しい顔)

その後、 15 年ほどの間放置されたままだったのですが、2009 年夏、スイスの会社の協力のもと修復工事が始まり、2010 年 7 月 10 日に再オープンしたということです。

こちらです。

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ほぼ旧市街の真上からの眺めです。

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絶景ですねぴかぴか(新しい)

この上の展望台、僕も 10 年ぶりくらいに行ったけど、とってもきれいになって、カフェやレストランも入っていました。

そして、こんな人も。

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これ、メダルを作っている人なんですが、機械にメダルを入れて金槌でカーンとたたいて作っています。

昔は囚人の労働の一つだったそうですよ。

というわけで、しばらく上からの眺めを楽しんだ後、旧市街へ。

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この後少しお買い物をしてから、お昼ご飯を食べました。


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2014年11月29日

ドブロブニク旧市街の観光


夕方になってしまいましたが、ドブロブニクの旧市街の中を簡単に観光しました。

旧港から門を入って、ちょっとした広場があります。

いろいろな建物が建ち並んでいるんですが、こちらが、聖ヴラボ教会

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現在建っているものは、1715 年に完成したものです。

なんとなくベネツィアの建て方に似てますねぇわーい(嬉しい顔)

それもそのはず...

本これは、もともと 14 世紀にロマネスク様式で建てられた古い教会がこの場所にあったのですが、1706 年に大火災で全焼してしまいました。

そこで建てかえることになった時、当時のドゥブロヴニクの元老院の要求によって、ベネツィアの建築家、マリノ・グロペリが 1706 年から建設を始めて建てたものなんだそうです。

1706 年の火災では、全てが灰と化してしまいましたが、何らかの奇跡によって、聖ヴラホの銀の像だけが残っりました。

この像は、プリエコにある聖ニコラ教会で “ 避難生活 ” の年月を送った後、1715 年、元の場所、すなわちこの教会に戻りました。

その時この像に、次のような文がつけられました。


「 金や銀や真鍮の像は全て火に溶けてしまいましたが、この聖人の像だけは奇跡に守られて、損傷も受けずに、火事の教会から救い出されました 」 と。

聖ヴラホは、10 世紀からドゥブロヴニクで崇められている、この町の守護聖人です。

というのも、10 世紀、ベネツィア人の船がグルージュとロックルム島の前に停泊した時、聖ヴラホがドブロヴニクを救ったと言われています。

ベネツィア人達が、食料と飲み物を調達したらすぐにレヴァントへ向けて出発すると言うと、ドブロヴニクの人々はそれを信じてしまいました。
ところがベネツィア人達は、この機会を利用して町を見て回り、占領を計画してこの町の弱点を探ちました。

聖ヴラホは、教区教会の司祭、ストイコにこのことを知らせ、ベネツィア人達の夜の突然の攻撃から町を守ることができました。

当時の司祭は聖ヴラホを
「 長い髭のある白髪の老人で、頭には司教の帽子をかぶり、手には杖を持っていた 」
と描写しています。

城壁や塔に見られる像の姿です。

2 月 3 日は聖ヴラホの祝日で、ドブロヴニク市の日にもなったというわけです。


そしてその奥に見えるのがドブロブニクの大聖堂

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本もともとは 1192 年に、第三次十字軍戦争の帰路、嵐のロックルム島付近で船が難破し、何とか命をとりとめたイギリスのリチャード獅子心王がこの町にたどり着き、大きな教会建設のためのお金を寄付すると誓ったのが始まりです。

ところが、その時作られた丸天井を持つロマネスク様式の建物も、1667 年の大地震で全壊してしまいました。

現在ある建物は 17 世紀にバロック様式で再建されたものです。

再建に当たって、ヴァチカンの管理人、後にヴァチカン図書館の館長になった著名な歴史家、哲学者、詩人、そして外交官のスティエパン・グラディッチが、自分の生まれ故郷であるこの町へ、支援を始めました。

イタリアから招かれた最も有名な建築家で、バロック様式の当時の教会のモデルに合わせて大聖堂を建設するというグラディッチの願いを実現したのは、アンドレア・ブファリーニでした。

ブファリーニの設計図に従って、パオロ・アンドレオッティが 1672 年、建設を開始。

建築工事は長い間、多くの職人の手を借りて進められ、 1713 年、ドゥブロヴニクの職人、イリヤ・カティチッチによって完成しました。

中には、ベネツィアのティツィアーノが 15 世紀に描いた 「 聖母被昇天 」 や主祭壇の上の彼の仕事場 、ラファエロの 「 小椅子の聖母 」 、イタリアの画家サヴォルドの 「 エジプトへの逃亡 」 など、一見の価値のある作品が多数ありますよ。


そんなわき道からまた戻って、メインストリートであるプラツァ通りを歩いて行ったのですが、この道から脇に行く細い道が趣があっていいですよ。

こんな風にね。

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細い路地の奥の方が階段になっていて、その奥の方にスルジ山が見えます。

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それぞれの通りがいろいろな顔を持っているんですよ。

そしてプラツァ通り、今回は海側から歩いていったのですが、陸側の門の近くにあるのがこの、
オノフリオの噴水

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これは市民に水を供給するため、1438 年に造られました。
今でもここから出るお水、飲めるんですよ手(チョキ)

その向かい側にあるのが、フランシスコ会修道院です。

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14 〜 15 世紀にかけてこの修道院が建てられました。

現在のこの建物は、1667 年の大震災の後に再建されたものですが、中の回廊などは、14 世紀のままです。

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この修道院内には 1391 年に開業したヨーロッパでも 3 番目に古い薬局があって、現在も営業中です。

特に保湿クリームや、セルライトを除去するクリームなんか人気があるそうですよ。

ちなみに写真撮影は不可だったのですが、ここも内戦の時ミサイルが貫通した跡が残っています。


というわけで、この後もこのあたりをうろうろして夕食の時間となりました。


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2014年11月28日

船でドブロブニクの旧市街へ


再び国境を越えて、クロアチアへ...

って、今回の旅は何回国境越えたのかな?

1,2... ノヴァ・ゴリツァの国境をまたいだのを入れると、
陸路だけで 10 回は越えたかも...手(チョキ)

さすがに国境入り組んでいるところですね。

というわけで、クロアチアに戻り、ドブロブニクへのアプローチは船で海から船

船長さんと助手の方です。

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夕方、だんだんと夕日が沈んでいくアドリア海。

雰囲気も出てきましたよ。

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こんな風にぴかぴか(新しい)

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そしてドブロブニクの旧港にやってきました。

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夕日が当たってこれまたいい感じです。

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到着わーい(嬉しい顔)

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やっぱりいつの時間帯も素晴らしいんですが、こんな夕日の当たったドブロブニクは初めてで、これもまた何とも言えない素晴らしい景色でしたわーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)


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