2017年01月10日

オリンポス山麓のディオン遺跡


テッサロニキを出発して、車で 2 時間ほどドライブ 🚙 💨


やってきたところは、オリンポスの山の麓に広がる、ディオンという町のはずれにある遺跡。

ディオンというのは、ゼウスの館があったところ

ギリシャ語で全知全能の神ゼウスという意味なので、ここはゼウスの町という意味なんだそうな

というわけで、駐車場からちょっと入ったところでチケットを買って遺跡の中へ

遺跡といっても初めの部分は公園のような感じで、緑に囲まれていてお散歩コースといったところ。

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しばらく行くと湧水が出ていて小川が流れていました。

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この地は、昔からオリンポス山からの湧水が出てくるところで、
旅人のオアシスのような場所でもあったそうです。

また、そのおかげで肥沃な大地となり、古代からいい作物がとれたそうです

そんな場所にアテネの像がありました。

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ここはちょっとした神殿になっており、かの、アレクサンドロス大王も、東方遠征に行く前にこの地に立ち寄って生贄を捧げ、旅と闘いの祈願をしたとか。

そこから昔の城壁の上だったところを歩いていくと...

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ローマ時代に整備された道路が今でも立派に残っていました。

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この道路はテッサロニキからアテネに通じる、いわば幹線道路で、その通りがこのディオンの真ん中を通っていたんですね。

その近くにちょっとした広場があって、ベンチ ???

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いやいやいや、これは公衆トイレ 🚻 です。

下に水が流れていて、座って用を足したら自動的に汚物が流れていくという、当時の水洗便所だったんですよ

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ま、仕切りの何もないので、必然的にお隣の人とお話をすることになるんですが、世界中の人が集まるこのトイレ。

いい情報交換の場所になったみたい

こういったところから情報が広がっていったみたいですね。

もうちょっと行くと、医学の神様、アクレピウスの聖域にやってきました。

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アクレピウスはアポロンの子供で、イロン山でケイローンから医学を学び、優秀な医者となりました。

しかし優秀すぎて、死者まで生き返らせることまでできてしまいました

これに非常に困ったのは、冥界の王ハディス。

そんなことやってもらったら困ると、ゼウスに猛抗議

ゼウスも人間と神との区別がつかなくなる...💢

つまり、

人間 → 死ぬ

神  → 死なない 年取らない


という区別がつかなくなり、ゼウスは雷 をぶつけて殺してしまいました。

でも、アクレピウスは生前の功績を高く評価され、天に召されてへびつかい座となり、神の一つに加えられました

久々に聞いたかな?

べびつかい座

昔、12 星座のときに、

「 そんなん昔は 12 星座やったけど、それ決めた時から 2000 年も 3000 年も経ってるやん。今観測したら、さそり座といて座の間にへびつかい座がいるから、11/30 〜 12/17 に生まれた人はへびつかい座やで 」

って言った人がいて、一瞬だけブームになりましたね。

ほんの一瞬のブームだったので覚えてる人も少ないかもしれませんが。

あれ、どこ行ったんでしょう...?

ま、そんなことは置いといて、
アクレピウスのシンボルは杖にへびが巻き付いたもの

これは彼がへびを使って薬草の効能を教えてもらったということから由来しているみたいですよ。

医療関係の様々な分野でもこのシンボルが使われています

例えば、WHO 世界保健機構 とか、

AMA 米国医師会

日本を含め、様々な国の救急車とかにもこのシンボル ( star of life ) が描かれています。

今度ちょっと気にしてみてくださいね

というわけで、その先には、昔のお風呂場跡

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など、この場所が旅人たちが集まって、とっても繁栄していたってことがよくわかりますね。

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オリンポス山をバックに、のどかでいい場所でした。

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ここの遺跡群は、近くを流れている川の氾濫によって、土砂に覆われてしまったおかげで、とっても保存状態もよく今日まで残されていました。

何となくポンペイの遺跡っぽい残り方ですね。

なので学者さんたちもよく訪れている場所なんですよ。

昔の光景がよく想像できる素晴らしい場所でした。


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2017年01月07日

テッサロニキ市内の遺跡群


テッサロニキの町は、ローマ時代、ビザンチン時代、オスマン・トルコ時代などの遺跡がどんどんと出てきています

例えばこちら。

海から離れたエプタピルギオン地区の丘の上にある、ビザンチン時代の城壁跡

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ここのテラスからきれいな景色が望めますよ

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手前から、テッサロニキの旧市街、テルマイコス湾、そしてその向こうにそびえるのが、標高 2917m のオリンポスの山。

ギリシャ神話の十二神の実家がある山で、とっても神聖な場所です。

日本のカメラメーカーでもある、「 オリンパス 」 はここから名前をとったそうですよ。

1919 年に 「 株式会社 高千穂製作所 」 として創業したこの会社は、日本の神話では高千穂の峰に八百万の神がいる高天原があると言われており、神の山に結びつけて当時から 「 オリンパス 」 を商標として使用していました。

「 オリンパス 」 には高天原の光が世界を照らすように、光を根源とするオリンパスの製品が世界に行き渡るように、世界に通用するようにという熱い思いが込められています。

オリンパスの HP より一部抜粋


こんな景色を見た後、旧市街の方へ 👟 👟 👟

こちらは、聖者ディミトリオスを祀った、アギオス・ディミトリオス教会

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教会堂の地下には、聖ディミトリオが殉教した場所といわれている、ローマ時代の浴場跡 が残っています。

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立派な形で残ってますね

そして、地上の本堂へ。

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こちらが隅っこにあった、聖ディミトリオスのお墓

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聖ディミトリオスはテッサロニキの守護聖人なんですよ

主祭壇

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半円の天井には、聖母マリア様のモザイク画もありました。

この聖堂内には、6 〜 7 世紀に描かれた、貴重なモザイク画がたくさんあるんですが、こちらのは、1917 年の火事の後に修復されたものらしいです。

教会を出てちょっと歩くと、ローマ時代の遺跡が。

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こちらの広場の左側を通ってるのは、紀元前 2 世紀にローマ帝国軍が建設した街道です。

この街道は、エグナティア街道と言って、アドリア海沿岸で現在のアルバニアにあるドゥラキウムから東へずーっと伸びて、ここテッサロニキを通過し、コンスタンチノープルまで通じるメインストリートだったところです。

ここから南に行くとアテネにも通じてるということもあり、
テッサロニキは重要な交通の要所だったそうですよ

そんな街道のテッサロニキの入口辺りにあった門が残っていました。

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町の中にも遺跡がロゴロゴしているギリシャ。

世界遺産の数はそんなに多くはないんですが、
おそらく申請したらほとんどが登録されるかもしれません

あまりにもその辺に世界遺産クラスの遺跡がごろごろしているギリシャ...

みんなそういったものが日常過ぎて、あまり興味がないのかな


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2017年01月06日

紀元前三世紀の町テッサロニキ


紀元前 317 年に、マケドニアのカッサンドロスによって造られたこの町は、彼の妻である、テッサロニカと、勝利の女神ニケを合わせて名づけられました

テッサロニカは、マケドニアのアレクサンドロス大王の異母娘で、マケドニア王国がクロコスの戦いで勝利した日に生まれたという言うことで名付けられたそうです。

ビザンチン時代には、
コンスタンチノープルに次いで人口 10 万人を擁する二番目に大きな都市だったそうですよ。

そんなテッサロニキ、アテネから飛行機で 1 時間ほどのところにあり、現在でも人口 80 万人ほどのギリシャ第二の都市です。

ホテルのすぐ近くの広場に、アリストテレスの像がありました。

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彼は、ギリシャの有名な哲学者、プラトンの弟子で、ソクラテスとともに西洋三大哲学者として名前が挙がる人ですね。

アレクサンドロス大王の家庭教師も務めた人です。

この広場からはテルマイコス湾の向こうに、オリンポスの山がうっすらと見えました。

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そして海沿いをちょっと進むと、こちらがホワイトタワーと呼ばれている塔。

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もともとあった塔を 12 世紀のビザンチン時代こんな形にして、15 世紀以降は見張りの塔として使っていたものです。

この塔の先には、馬に乗ったアレクサンドロス大王の像があります。

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この大王が乗っている馬は稀代の暴れ馬で、もうどうしようもなかったそうなんだけども大王だけが乗りこなすことができたそうです

なんか、北斗の拳のラオウの乗ってた黒王をイメージさせられますね

この馬は大王のインド遠征のときに亡くなったそうですよ。

この像の左後方に見えるのは大王のヤリ隊です。

当時の軍隊は、テーベ軍の 3.5m のヤリ隊が史上最強と言われていたんですが、それに勝つために大王の父、フィリポス二世が考案した 5m のヤリ隊です。

って言っても 5m のヤリって邪魔なので、折り畳み式にしたそうですよ。

それを実践的な軍隊にしたのがアレクサンドロス大王

一列目は地面と水平にまっすぐ構え、二列目はちょっと上、三列目はもうちょっと上、四列目は...という感じで隊列を組み、300 人ほどの密集ヤリ隊を組織しました。

これをファランクスと呼ぶそうです。

この隊と一緒に、まずはテーベを制圧し、その後小アジア、シリア、そしてちょっと南に行ってエジプト。

そのあとは東へということで、イランを越えてインド方面へ。

大王の戦いは、通常の軍隊とはちょっと違い、
大将自ら馬を駆って敵のど真ん中につっこんでいって敵を蹴散らす、そんなぶっ飛んだ戦い方をしていたそうです。

なので、部下の士気も上がる し、敵はこんなん勝ち目ないわ と。

ほんと、全部が全部 「 神ってる 」 戦いだったんだそうな

どんどんと東の方を征服していって、インダス川を越えたところで部下が

「 もうあかん、しんどいからそろそろやめましょ 」

といったとか。

そら、祖国を離れて 7 年も遠征していたわけだから部下も疲れたわけですよね。

この辺で戻って見ようと、船で戻る途中、
イラク辺りでマラリアにかかって三日三晩苦しんで亡くなった...

って記録にはありますが...

アレクサンドロス大王はとっても大酒のみでお酒が大大大好きだったんですね。

🍺 🍺 🍺

なので、勝利の宴会で三日三晩酒を飲んだくれて...

飲みすぎで亡くなった... って思ってる学者さんもいるみたいですよ。

もちろん公式にはしてませんけどね


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